私の職場論 −− 『人間中心の職場作り』

第1章 経営学からの出発

★私の経営学との関わり
 私が経営学に本格的に接したのは、私が40歳前後のころ、1990年前後のころである。
 私は当時、時計・ジュエリーの業界新聞の記者だった。それではキャリアとして不十分だと思い、中小企業診断士という資格を取得することにした。この中小企業診断士という資格は、企業の経営コンサルタントを本業とする国家資格である。そして、当時の試験は8科目だったのだが、その中の科目の一つに「経営基本管理」があった。この科目は、経営学にほぼ等しい知識を必要としており、経営学を本格的に学ぶことになったのである。私は8科目全てのノートを作る過程で、経営基本管理、すなわち経営学のノートも作成した。このころ私は、経営学に本格的に取り組むことになった。
 中小企業診断士の資格取得は1992年に達成した。そして1999年に22年間勤務した業界紙の会社を退社し、中小企業診断士として独立した。そして十分な稼ぎとは言えないにしても、いくらかの仕事をしていった。その一つが、ある大学で経営学を客員教授として教える仕事であった。それを3年間ほど手がけた。その成果として完成したのが、私の第一ホームページに掲載している「初学者のための経営戦略論レジュメ全15章」である。大学の半期の授業は15時間(1時間は90分)と決められており、そのためこのレジュメも全15章となった。
 第1ホームページ「生活者のメッセージ」http://seikatsusya.wiselink.biz/にぜひ訪問し、読んでいただきたい。経営学を学ぶという意味でも有効だと思うし、私がこれから論じようとする『私の職場論――人間中心の職場作り』にも深く関わっている。いわゆる経営学の基礎となることが網羅されているので、ご一読いただきたい。

★これまでの経営学の視座
 これまでの経営学の学習を集約すると、経営学とは、@経営戦略論、A経営組織論、B経営管理論、Cマーケティング理論、の四つの分野に分かれるようだ。
 「経営戦略論」においては、例えば事業多角化戦略を追究したアンゾフの理論などが追究されている。「経営組織論」においては、ライン&スタッフ組織を一般的とする各企業組織のあり方が追究されている。「経営管理論」においては、動機付け理論などを駆使し、どのように従業員を管理していくかが追究されている。「マーケティング理論」においては、消費ニーズへの対応を基本とする顧客志向のあり方が追究されている。
 これらの4分野に分化される経営学の視座とはどのようなものだろうか。一言で表現すれば、それは、「経営者(社長)や上位の管理者(部長など)の視座」で追究されている。すなわち、私がここに列挙し、レジュメ全15章にまとめた経営学は、「経営者(社長)や上位の管理者(部長など)のための用具」なのである。確かに下位の会社員にとって、社長などの上位者がどのような経営方針を持っているかを知り、理解することは重要だろう。そのためにこの経営学を学ぶことがまったくムダだとは思えない。しかし、ではどのようにそれを理解し、日々の仕事に生かすべきなのか、そういう下位の会社員が一番知りたい疑問には、必ずしも応えていない。
 冒頭の論述なので結論を急ぐことにしよう。私は、私のような、下位の会社員を経験してきたものには、社長などの上位の管理者の視座を持つ経営学は、学問としての実践性を持っていないと考えてしまうのだ。繰り返しになるが、これまでの経営学は、経営者(社長)や上位の管理者(部長など)のための用具として、そういう立場にいる人々に、主に役立つものだ。しかし下位の会社員に必要な、実践性のある学問にはなっていない。
 大まかな言い分になるが、私は、そういう経営学ではなく、現在の経営学に対応できる「仕事学」とか、「職業学」が必要ではないかと考えている。下位の会社員の視座に基づく、下位の会社員のための、実践的な学問が必要だと考えているのだ。
 そのテーマについて、これまでの私は無意識のうちに考えていたように思う。いまになって思うことだが、
第2ホームページ『営業パーソンの職業倫理』http://syokugyorinri.wiselink.biz/
第4ホームページ『ビジネス・パーソンの働き方』http://hatarakikata.wiselink.biz/
には、会社員の視座から論述しようという意図が感じられる。
 さらには、第3ホームページ『キャリア・コンサルタントの部屋』http://career.wiselink.biz/
では、学生や社会人の個人としてのキャリア形成のあり方が論じられている。
 これまで私は、下位の会社員のための「仕事学」とか、「職業学」の一端を考え、示してきたのではないか。そんな著者としての意図を、私は自己認識しつつある。そして、第6ホームページとなるであろう、この『私の職場論――人間中心の職場作り』というこの論述もまた、その視座をより明確なものにする。そんな基本理念を持って、この論述を進めていくことにしよう。

★プレイヤー、選手としての視座
 2013年8月、大リーグ野球のニューヨーク・ヤンキースに所属するイチローが、日米通算4千本安打を達成した。すばらしい記録である。この私たちに長年にわたり、感動を与えるイチローは、大リーグでも有数のすぐれたプレイヤー、選手として、いまも活躍し続けている。
 いま私は、「イチローがすぐれたプレイヤー、選手である」と記述した。イチローのことを何気なく私たちはこう言っている。しかし、この「プレイヤー」・「選手」という言葉には普通に考える以上の意義が込められるのではないか、と私は考えたいのである。「プレイヤー」・「選手」という人間のあり様を示す言葉にこだわってみたいのである。
 会社・企業は「個人」の集まる組織である。「個人」という「人間」が集まる組織である。その場合の「個人」・「人間」とはどのような存在かを示すのが、「プレイヤー」・「選手」という言葉であると考えてみたのである。
 会社・企業は「プレイヤー」・「選手」の集まる組織である。社長も「プレイヤー」・「選手」である。ラインに乗っている部長、課長も「プレイヤー」・「選手」である。下位の一般の会社員も「プレイヤー」・「選手」である。そのように私は考えてみた。
 ここでは社長が部長や課長や従業員を「管理する」とか、部長や課長などの上司が、部下を「管理する」という考え方は一次的には入ってこない。地位に関係なく全ての所属員は、それぞれに、そして一律に、「プレイヤー」・「選手」なのである。
 イチローがすぐれているのは、あくまでも「プレイヤー」・「選手」としてである。管理者としての監督やコーチとしてすぐれているわけではない。将来的に監督やコーチになるかもしれないし、ならないかもしれない。仮に監督やコーチになっても、そこですぐれた監督やコーチになるかは不明であり、別問題だ。あくまでもイチローは、「プレイヤー」・「選手」としてすぐれている。
 会社・企業においても一次的に同じように考える、ということを、私はここで提案したい。全ての所属員は「プレイヤー」・「選手」なのだと考えてみたい。そして、そうしたあり様の「個人」・「人間」が集まるのが会社・企業という組織である。全ての所属員、全ての「プレイヤー」・「選手」が快適に、そして十全に働くことのできる職場を作りたい。そんなふうに考えたいのである。
 現在のもう一つの事例として、マラソン大会に参加する人々が非常に多いことに注目しよう。各地で頻繁に行われるマラソン大会に、なぜこれほど多くの人々が参加するのか。
 この場合のスポーツ競技としてのマラソンは、あくまでも個人競技である。「人間」・「個人」の能力を、「プレイヤー」・「選手」として競うのがマラソンである。マラソン大会に参加する多くの「人間」・「個人」が、自身を「プレイヤー」・「選手」と認識している。その基本的なことに、非常に多くの人が参加する理由がある、と思うのだ。
 つまり人々は、マラソンというスポーツ競技に対し、「プレイヤー」・「選手」としての自らの人生や会社・企業での就業を、精神的にアナライズしているのではないか。そのように、私には思えるのである。
 私はこの『私の職場論――人間中心の職場作り』において、もう一つの視座を、会社・企業などの職場の所属員を「プレイヤー」・「選手」とすることにおきたい。そんなもう一つの基本理念を持って、この論述を進めていきたい。

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代表取締役 砂田好正

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