私の職場論 −− 『人間中心の職場作り』

第2章 「戦場」としての職場

★経営学に多い戦争用語
 この論述は、『私の職場論――人間中心の職場作り』と題名を決めている。逆に、もっとも「非人間的」な行為、組織、場とはどのようなものかを考えてみたい。私はそれが、「戦争」であり、「軍隊」であり、「戦場」であると思う。戦後生まれの戦争を知らない私は、一方で一塊の市民として平和な世界を願っている。私は、「平和」という価値観を普遍的に抱えているのだ。
 その私が、「もっとも非人間的」と思われる「戦争」「軍隊」「戦場」のことを知りたいと思ったのには、私なりの理由がある。
 その理由とは、経営学や企業経営のことを学んでいくと、そこに戦争用語や軍隊用語がたいへん多く使われていることに気づくからである。
 そもそも「経営戦略」の「戦略」というのは、「戦争の策略」という意味である。「戦術」という言葉も普通に使われている。また営業パーソンの部門を「営業『部隊』」と呼ぶことがある。経営組織論の中に出てくる「ライン&スタッフ組織」の「スタッフ」は「参謀」という意味である。同じく組織論に「タスクフォース」という用語があるが、これは、「軍隊で、任務(タスク)のために編成された部隊」を意味している。また「企業のサバイバル競争」などと言われることがあるが、「サバイバル(生き残り)」というのは、明らかに戦争を念頭に置いた用語であろう。
 また戦争においては、「兵站(へいたん)」というものが重要である。この場合の「兵站」とは、戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を意味している。戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、実施する活動を指している。物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。
 「兵站」を英語にすると、「ミリタリー ロジスティクス」とか、単に「ロジスティクス」となる。ここで気づかれる人も多いと思うが、「ロジスティクス」というのは、「物流」をより高度化、システム化したものとして使われる経営学用語である。企業経営にとっては、重要な一分野を示している。
 物流活動には、原材料の部品調達、工場内の製造物流、製品を販売する販売物流などがある。「ロジスティクス」とは、こうした物流の分野を統合し、一元管理し、全体最適の視点から効率化を図ることである。「ロジスティクス」という用語もまた、戦争と企業経営や経営学が深く関係していることが理解できる。
 もちろん企業社会というものが戦争行為、軍事行為に依存して発達したのであり、そのことが戦争と企業経営や経営学との関係を深めているのだろう。経営学は、企業社会の発達に伴って体系化された学問である。そして、軍隊の「経営」手法が先導して企業経営を発展させた、という指摘もできる。そのため、企業経営に関する論述や経営学が、軍事用語で組み立てられていったのは、当然の帰結かもしれない。
 しかし両者の関係は、単に企業経営に関する論述や経営学に、便宜的に戦争用語を流用したという以上の、より深いものがある。こうした思考の後に私は、人々が仕事をする場である「職場」と、戦争をする場である「戦場」は、何らかの共通性を内包しているのではないか、と仮説を立ててみたのである。共通性を探ってみたいと思ったのである。そのことに、『私の職場論――人間中心の職場作り』という論述をするにあたってのヒントが隠されているのではないか、と考えたのである。

★ヒエラルキー型組織という共通性
 経営学の一分野としての経営組織論は、観念的な性質を持っている。観念的にならざるを得ない理由は、そもそも、人々が持つ多様な人間性を組織という形態に組み込む、つまり組織化するという基本的なところにあるのだろう。組織と個人の問題を払拭してしまう性質があると考えられる。
 それでは経営組織と軍隊組織の共通性はどこに見出せるのだろうか。ある程度は観念的になることをお許しいただいたうえで考えてみたい。
 ヒエラルキー型組織とは、縦型の、ピラミッド型の組織形態である。通常、指揮命令系統は一つであり、上意下達がその特徴とされる。このヒエラルキー型組織もまた、軍隊組織から発したものである。そして現在の企業などの経営組織にも、この組織形態が流用されている。そのため組織論として、両者の共通性を見出すのは容易である。
 ヒエラルキー型組織としての軍隊組織においては、上意下達が徹底されている。より下位の隊員は、より上位の指揮官の命令を絶対的に守らなくてはいけない。それが規律であり、そのことが制度的にも保証されている。
 一方の、企業などの経営組織はどうだろうか。経営組織もまた、基本的にはヒエラルキー型組織を保持している。下位の所属員が意見を述べ、それが通るといった例外がないわけではない。また、ボトムアップを心がける上位の幹部もいるだろう。しかし最終的には、上位の地位にある幹部の指示が絶対である。上司の指示は、職務命令などと言われることがあり、基本的には絶対的なのだ。企業などの経営組織は、軍隊組織と同じヒエラルキー型組織の特徴を基本的には備えている。
 このように組織論として、両者の共通性を見つけることは容易である。そして、我々が企業などの経営組織の中で感じる堅苦しさ、活動しづらさ、働きづらさ、不自由感といった精神的困難性も軍隊組織におけるものと共通している。そしてそれもまた、ヒエラルキー型組織という組織形態に、基本的には起因しているのだ。両者の現在の組織形態において、人々の自由な精神が、困難性を抱えてしまうことは避けられない。
 現在の企業などの経営組織においては、「組織の平準化」という、組織階層を減らそうという方向が試みられている。また、プロジェクト組織やマトリックス組織という組織形態が模索されている。しかしそれらの試みは人々の精神的困難性を、一挙に快復させることにはならない。すなわち現在、ヒエラルキー型組織に対する確固とした代替案は、人知として考え出されてはいないのだ。むしろ逆に企業などの経営組織における堅苦しさ、活動しづらさ、働きづらさ、不自由感と言った精神的困難性は増しているようにも思われる。現在の延長線上に、あるいは革新的に、どのような組織形態が発案され得るのか、現在の私たちには見えていない。

★「戦場」としての職場
 別の視点から、職場と戦場の共通性を探ってみたい。
 最初に戦場についてである。その場は、味方の兵士と敵の兵士が殺戮し合う場であり、それだけを見ても非人間的である。そして、戦場に赴く兵士一人ひとりは、可能性として自らの死を覚悟しなければならない。すなわち戦場では、兵士一人ひとりの身体的な命が賭かっているのだ。それは、別の言い方をすれば、サバイバル(生き残り)を賭けた場なのだ。そのことが「戦場の関係性」を基本的に規定している。
 職場はどうであろうか。確かに戦場のように、所属員一人ひとりの身体的な命が賭かっているわけではない。その一方で職場は、所属員一人ひとりの生活が賭かっている。この場合の「生活が賭かる」とは、括弧つき「命」が賭かっていると述べることが可能である。なぜなら所属員が職場を辞めざるを得なくなったとき、それは生活の道を絶たれることであり、生きる道を絶たれることであり、「命」を絶たれることだからだ。
 ここに、職場と戦場の共通性を見出すことができる。一方の戦場は文字通りの身体的な命が賭かっている。もう一方の職場は、生活という、括弧つき「命」が賭かっている。戦場のように、職場もまた「サバイバル」を賭けた場なのだ。そのことに「戦場の関係性」と相似した「職場の関係性」を見出すことができる。
 もう少し具体的に論述しよう。例えば現在の日本企業ではリストラの名の下に、一部の社員の実質的な解雇が日常化している。日本では裁判所の判例によって、解雇要件が厳しく規定されているため、簡易に、直接的に解雇はできない。この判例による法規は、日本人の国民性を反映した総意として、私としては擁護・維持したいものだ。しかしその一方で、多くの日本企業が、一部の社員を実質的に解雇するリストラの動きを加速させている。
 解雇要件として厳しい判例があるため、リストラとしての実質的な解雇は、慎重かつ遠回しに行われる。少なくとも「解雇します」と言った直接的な通告は行われない。それまでの部署とは違う、煩雑な業務内容の部署(新聞などでは「追い出し部屋」などと表現する)に配転するなどの方法が採られる。その方法の中には悪質なケースも散見される。
 その方法は様々だろうが、リストラされる人員に対して、実質的な解雇を促進する上司や人事部の人員が必ず存在する。リストラされる人員が被害者だとすれば、加害者とも言える人員がいるはずだ。その加害者とも言える人員は、必ずしも喜んでその業務を担っているわけではないだろう。むしろ逆に、気の進まないという気持ちで、いやいや、その役割を担っているのではないだろうか。
 では、なぜやりたくない役割を担うのか。私が思うに、それは自らが会社にサバイバルするためなのだ。その役割としての仕事は、会社の指示・命令であり、それに従わなくては、今度は自らがリストラされてしまうのだ。自らの生活を守るためであり、「命」を守るためなのだ。だからこそ、気の進まないリストラ(解雇)をするという仕事を担うのだ。そこにヒエラルキー組織の冷酷さを指摘することは容易である。
 こうしたことの中に、私の言う「職場の関係性」が見て取れる。そして、その関係性は、同じヒエラルキー組織として、兵士一人ひとりの命が賭けられている「戦場の関係性」に相似しているというのが、この項で私が指摘したいことである。

★兵士になれない自己
 人々は、捉え所がなく、揺れ動く自己がどのような人間なのか、何とか言葉にし、認識したいと思っている。その場合の、自分が自分を知るという自己理解は、人々が生きていくうえでどこか必然的なもののように思われる。人々は、自己理解の欲求を持ちながら、その認識作業を一方で進行させながら、生き、生活しているようだ。
 ここまで私は、経営組織と軍隊、職場と戦場、組織経営と戦争との共通性を探ってきた。そしてここで私は、戦争についての私自身の自己理解をする必要性を迫られる。戦争をテーマにしながら、それについての自己理解をしないのでは、この論述全体の説得力を失ってしまう。
 その結果、自己理解としてのある種の確信が思考として生まれた。この場合の自己理解とは、私は兵士としての戦争に耐えられない、戦争に耐える精神を持ち合わせていない、というものである。私と言う人間は、そういう非戦的な精神の持ち主である。もっと言えば、戦場に行く兵士になれない脆弱な人間性、人格の持ち主だ、ということである。
 65歳になり年齢的に兵士になれない、という意味ではない。そうではなく、仮に私が20代の青年で、私の属する国と他国が戦争状態にあったとして、私という人間は、兵士として参戦する能力を持ち合わせていないのだ。そのための強い精神を持ち合わせていないのだ。脆弱な人格、人間性の持ち主だ、ということである。それが戦争という事象と対峙したときの、私の自己理解なのである。そんな私であるから、戦後の日本に徴兵制がないことは最高に幸いなことだと、いま心の底から思うのである。
 この自己理解は、自らの長所として述べているわけではない。「日本人は平和ボケしている」「戦後民主主義世代と言われる教育が悪かった」「そんな脆弱な人格、人間性は、人間として恥ずかしい」という非難の声が一方で聴こえてくる。またその脆弱な人格、人間性が、私のこれまでの65年の人生のときどきに、苦痛や苦労としての体験をもたらしてきた。コンプレックスにも近い、ネガティブな要素を含んだ自己理解なのである。その一方で、愛国心をかざして勇んで戦場に行くような、兵士としての強靭な精神を持ち合わせていないことに、少しの安堵感を持つのだ。
 ところで果たして、私のように兵士としての戦争に耐えられない、非戦的な精神を持つ人間は、私一人だけだろうか。そんな設問を一方で投げかけてみたくなった。日本人の多くが、同じような精神を持ち合わせているのではないか。また日本以外の他国の人々もまた、同じような精神を持ち合わせはじめているのではないか。現代と言う時代に生きる世界の人々の中に、そんな非戦的な精神が蔓延しはじめているのではないか。
 その設問に対する答えを探りながら、新聞や書籍に当たってみたのである。その答えのヒントになりそうな記事や文章を引用しながら、次項で考えてみることにしよう。

★ある新聞記事
『2013年6月30日(日)朝日新聞朝刊』に次のような傾向記事があった。『アジアの成長の限界』というテーマである。最初にその記事の見出しを列挙する。
 ・防衛の前線 少子化の影
 ・兵役忌避 細る軍隊
 ・韓国、軍備近代化で打開図る

 この見出しにおける本文の要約は次のようである。
@昨年10月2日深夜、朝鮮半島を南北に分断する非武装地帯(DMZ)。韓国軍哨戒所の窓ガラスをノックする者がいた。一人の北朝鮮軍兵士であった。
Aこの兵士は9月29日未明に駐屯部隊を抜け出した。10月2日夜、DMZ内の北朝鮮側の2重鉄条網を越えた。地雷原を通り抜け、韓国側の3重鉄条網も突破した。韓国軍はDMZに約100カ所の哨戒所を置く。赤外線探知装置や監視カメラもある。北朝鮮軍兵士はそれをくぐり抜けたのだ。
B韓国の世論は沸騰。韓国軍の関係者が処分される騒ぎになった。
C韓国保健福祉省によれば、少子高齢化・人口減が安全保障に負の影響を及ぼしている。韓国国防省は05年、軍の近代化を進めつつ兵員を減らす計画である。

 さらに2面の本文の要約は次のようである。
@韓国では、政治家や資産家の子供が偽の診断書などで兵役逃れを図る疑惑が絶えない。一人っ子家庭が増え、子供を兵役に行かせたくないのだ。
A政府は07年、兵役期間を14年までに6カ月短縮すると発表。朴大統領も昨年の大統領選中、陸軍の兵役期間を「18カ月にする」と公約した。だが現在、21カ月で凍結中。北朝鮮軍による挑発が相次いだからだ。
B同盟国の米国からも、韓国軍の兵役短縮を不安視する声が聞かれる。米国も、国防費の削減を目指しており、朝鮮半島有事に増援69万人を約束したかつての力はない。
C軍は軍事力の近代化で事態を解決しようとする。そのためには資金がいる。少子高齢化で、韓国では福祉関係予算が膨張している。「国防を取るか、福祉を取るか」。韓国政府は悩んでいる。

 2面の見出しは「台湾、精鋭化狙い志願制へ」というものだ。本文の要約は次のようである。
@台湾軍は、特殊部隊の活動を紹介するイベントを開くなど、若者の軍への関心を高めようとしている。
A台湾は、中国の軍事的脅威と向き合い、長らく徴兵制を敷いてきたが、15年に志願制への全面移行を目指す。背景にあるのは、やはり少子化だ。
B兵役期間は以前の2年が1年に。実際に兵士として機能できる期間はごく短い。「戦える軍隊として機能しない」との判断が、志願制への全面移行を後押しした。だが本当に集まるのか、との懸念がある。
C台湾の新兵募集センターは、多い時で月に40回ほど募集活動をする。高校で200人、300人を相手に説明してもだれも関心を示さないこともある、という。
D台湾でも若者の就職は厳しいが、肉体的につらい仕事は敬遠されがちだ。軍はその典型。民間人材バンクを活用しても、年間募集目標の半分に届かないことが多い。

 次の見出しは、「中国、『わがまま兵』が増加」である。本文の要約は次のようである。
@中国各地で兵士の規律低下が問題視されている。その大きな要因が「一人っ子政策」だ。
Aある装甲師団が戦車による敵地急襲を訓練したが、すぐに「敵方」に発見されてしまった。一人の兵士が、携帯音楽プレーヤーを使っていたためだ。「訓練中も手放したくなかった」と調べに答えたという。甘やかされがちで、わがままな「小皇帝」とも呼ばれる一人っ子世代らしい態度といえる。軍機関紙が珍しく否定的な記事にした。
B中国軍は徴兵制と志願制を併用しているが、近年は志願兵だけで定員が満たされてきた。軍隊は除隊後も共産党員になったり国有企業に入ったりできるので、人気の職場だった。
Cところが「一人っ子政策」世代が入隊するようになると、志願者は激減。入隊に反対する親も少なくない。軍関係者は「さらに少子化が進めば軍の存亡にかかわる」と危機感を持つ。
次は日本の現状だ。見出しは「若者層減る自衛隊」である。
@2012年の全自衛官の平均年齢は35.8歳。1990年と比べて4歳上がった。高校卒業から20代半ばまで、一番下の階級にあたる任期制の「士」に属する隊員が約7万5千人(89年度)から1万8千人(12年度)に減ったことが背景だ。
A自衛隊の総隊員数は約22万8千人(12年度)。人件費削減の結果、定員に対する充足率は92・1%で、6年前から4ポイント近く下がった。

★戦争に耐えられない人々
 前項の新聞記事をどのように読むことが可能だろうか。アジア各国の軍事力が、「少子化」のために弱まっているというテーマが中心のようでもある。しかしこの記事から私は、アジア各国の人々、特に若者が、軍隊に入ることを避ける傾向が顕著になっていると読み取りたいと思う。もっと言えば、アジアの若者は、軍隊に入り、兵士として戦場に行くことを避ける心情を持っており、戦争に耐えられない精神を持ち始めているということだ。

『戦争における「人殺し」の心理学』(デーヴ・グロスマン著 安原和見・訳 ちくま学芸文庫 2004年発刊)に次のような一節がある。

第二部 殺人と戦闘の心的外傷【精神的戦闘犠牲者に見る殺人の影響】第5章 精神的戦闘犠牲者の本質(P101)
 リチャード・ゲイブリエルはこう述べている。「今世紀に入ってからアメリカ兵が戦ってきた戦争では、精神的戦闘犠牲者になる確率、つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰弱を経験する確率は、敵の銃火によって殺される確率よりつねに高かった」。
 第二次大戦中、精神的な理由で4F(軍務不適格)と分類された男性は八〇万人に昇る。こうしてあらかじめ精神的・情緒的に戦闘に不適な者を除外しようとしたにもかかわらず、アメリカの軍隊は精神的虚脱のためにさらに五〇万四〇〇〇の兵員を失っている。なんと五〇個師団が作れるほどの数だ。第二次大戦中のアメリカ軍では、精神的戦闘犠牲者として除隊される者の数が補充される新兵の数より多かった時期もあるほどなのである。

 この本のテーマは、「戦争の非人間性」である。ただし、一般の市民が巻き込まれ、被害者として多くが殺されるから「非人間的」であると主張しているわけではない。加害者として殺戮する側、つまり軍隊に所属し戦場に行く兵士が、敵の「人間を殺す」ときの精神性が「非人間的」であると主張しているのである。前引用文における「精神的戦闘犠牲者」とは、「殺される側(被害者)」ではなく、「殺す側(加害者)」を示した言葉である。兵士の「人を殺す」という戦争行為こそが「非人間的」だとの主旨である。
 またこの本の後半では、ベトナム戦争に参戦した米国の兵士の多くが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という症状を抱えてしまった、という記述がある。この場合の「PTSD」は、「地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった人災、いじめ、テロ、監禁、虐待、強姦、体罰などの犯罪において患う心的ストレス障害。つまり、生命が脅かされ、人としての尊厳が損なわれるような多様な原因によって生じるストレス障害」という意味である。
 そしてこの本では、主に戦争における「人を殺戮する」という体験が障害になることが記述されている。もちろん、戦争におけるPTSDは、自身が危うく死や重症を負う戦争体験におけるものとして知られる。しかしこの本では、逆に「人を殺戮する」という体験に焦点を当て、PTSDが語られているのだ。
 いずれにしても、軍隊における兵士は、過酷な戦場において精神的ストレスに直面することは避けられない。兵士の多くは、たとえ生き残っても「精神的戦闘犠牲者」となるのである。これは「戦争の非人間性」を顕著に示すと同時に、戦争というものがいかに過酷な精神性を兵士に要請するものかを示している。そして現代の人々は、このような過酷な戦場をイメージし、兵士として戦争に行くことが精神的に耐えられなくなっている。現代人の多くが「戦争に耐えられない」精神性を持っていると考えられるのである。

★職場の精神的困難性
 話題を「職場」に戻そう。私はこの章の中で、「職場の関係性」は「戦場の関係性」と相似していると記述した。もちろん、職場は戦場とは違い、日々、現実として殺戮が行われているわけではない。しかし、あえて言えば、職場においても括弧つき「殺戮」が行われているとの考えを捨て切れない。戦場で生命が賭かっていることと、職場で生活が賭かっていることは、その相似性を示していると思うのだ。そこに職場における、戦場に相似する精神的困難性を指摘することができると思うのである。
 職場における所属員の精神的困難性は、現代において増してきている。その一つの例証が、若者の離職率の高さである。平成21年3月の卒業者のうち、中学、高校、大学の卒業3年後の離職率は、それぞれ64.2%、35.7%、28.8%となっている。たいへん高い離職率である。そのことが若者の失業率の高さにもつながっている。離職には様々な要因が考えられるのだろうが、いずれにしても職場に所属し続けることの精神的困難性を示している。離職率の高さは、現代という時代において、職場で従業し続けることの精神的困難性を示している。
 もう一つの例証は、職場での精神疾患が増え続けていることである。特にうつ病の多さは特筆すべき傾向である。
 厚生労働省によると、平成24年度のうつ病など精神疾患の労災認定の件数は、465件(前年度比150件増)で過去最多を更新した。そして現代のうつ病の特徴を次にように指摘している。「責任感が強く、仕事を全て抱えてしまう人がうつ病になりやすい。そんなうつ病だけでなくなっている」。最近急増しているのは、いわゆる「新型うつ病」。休日は元気に過ごせるが、仕事のある平日になると発症する。旧来からのうつ病と同時に、そんなタイプのうつ病が増えているのだ。
 新型うつ病の患者の中には「うつ病だから休んで当然」「うつ病になったのは上司の対応が悪いからだ」と、責任転嫁する患者も多い。そんなところから、「新型うつ病はうつ病ではない」という意見もある。むしろ人格的な未熟さがあり、再教育が必要という意見があるのだ。抗うつ剤もあまり効かないとのことである。
 しかし私には、この新型うつ病は、変な言い方だが、立派なうつ病だと思える。そこに職場環境や人間関係を含んだ「職場の関係性」が示されているように思える。「職場にいるときにだけうつ病になり、職場外では正常」という「新型うつ病」の原因が、「職場の関係性」にあることを顕著に示していると思うのだ。
 若者の離職率の高さ、新型うつ病の増加という現象から、職場で従業し続けることの精神的困難性が以前よりも増していることがわかる。その精神的困難性は、「戦場での精神的困難性」に相似しているというのが、この章の結論である。そしてその相似の中に、「人間中心の職場作り」を実現するヒントがあるように思う。次章以下でそのことをさらに探っていきたい。

 

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第1章 経営学からの出発